LOGINリリとの交わりのあと、範経はそのまま浅い眠りに落ちていた。体を軽く揺すられて目を開けると、すぐ近くにリリーの顔があった。「どうかなさいましたか?」 その声は柔らかかったが、どこか他人行儀でもあった。範経は思わず目尻に滲んだ涙を指先で拭い取った。「いや、何でもない」 そう言って体を起こし、もう時間かと思いながらベッドの縁に腰を下ろした。リリも静かにその隣に座った。「寂しそうに見えました」 リリは心配そうに範経の顔をのぞき込んだ。ホームシックにかかった少年のように見えたのだろうか。「ああ、以前のことを思い出していた」「今朝、転生なさったと伺いました」「そうだ」「この世界はいかがですか?」「よくわからない。ぼくはなぜここにいるんだ……」「え?」 リリは意外そうに眉を上げた。「リリはいつからこの世界にいるんだ?」「お答えできません」 一瞬、リリの顔に狼狽の色が走った。「この世界のことを知りたいのだが……」「ご質問の意味を、分かりかねます」「お前も、初めから娼婦だったわけではないのだろう?」 リリはすっと立ち上がった。「お茶でもいかがですか?」 リリは冷たく範経を見下ろしながら言った。その声には、先程までの温もりは微塵もなかった。「ぼくは好きでここにいるわけじゃない……」 範経は俯いたまま、独り言のように呟いた。リリははっとしたように目を見開き、何か言いかけた。 範経は今更ながら、娼婦を抱いたことを激しく後悔した。立ち上がり、散らばった服を手に取り、急いで身に着け始めた。「ありがとう。オレは帰るよ」 その一言に、リリは表情を変えた。「お待ちください」「何だ?」「お帰しするわけにはいきません」「なぜだ?」「まだ、ご満足いただいておりません」「十分に礼を受け取った」「これでは、お礼になっているとは思えません」「だが、あんたは十分に尽くしてくれただろう。それで十分だ」 リリは一歩踏み出し、範経の前に立ちふさがった。「もういいんだ。オレはあんたのことが好きじゃない」「どういう意味でしょうか?」「金で女を買うなんて性に合わないんだよ。好きでもない女と向き合う理由が、ぼくにはわからないよ」「娼婦ごときに何をお求めでしょうか?」「あんたは子どもを助けてもらった借りを返すためだけに、オレをもてなしたのだろう?
酒場のざわめきは、まだ耳の奥に残っていた。その向かいには、いかにも逢引きに使われそうな宿が、さりげなく、しかし露骨に建っている。ロマネスク風といえば聞こえはいいが、実際にはけばけばしく安っぽい。外壁にはピンクや黄色の光がせわしなく点滅していた。 リリに促されるまま、範経は小さな入口をくぐった。中に入っても空気は変わらない。けばけばしい照明ばかりがやけに目に突き刺さり、妙に落ち着かぬ気配が建物全体に漂っていた。 リリは何も言わず、受付で鍵を受け取ると、黙って階段を上り始めた。範経も無言でその後に従う。二階の廊下を少し進んだところで、彼女は一つのドアを開け、軽く顎で中へ入るよう促した。 それからのリリの動作は無駄が一切なかった。そして、営業用の作り笑いを唇の端に薄く浮かべた。 部屋に入るなり、リリは範経の体に寄り、手早く服を剥ぎ取った。自分もさっさと脱ぎ捨てると、そのまま範経をバスルームへ押し込んだ。たちまちシャワーの湯が、頭から降り注いだ。 リリはタワシとスポンジに石鹸をたっぷりと含ませ、範経の体を丁寧に、しかし事務的に洗い始めた。頭の天辺から足の先まで、まるで順序立ててなぞるように。範経はただ、じっと耐えていた。下ごしらえをされる野菜のような気分だった。 やがて彼女はバスタオルで水気を丹念に拭き取り、範経を大きなベッドのある部屋へと移した。動作は終始淡々としていて、いかにも一連の手続きのようであった。 裸のリリが、媚びるような表情を顔に浮かべ、音もなく彼の前に立った。その体は、どこか現実離れした均衡を保っていた。豊かに張り出した胸、きつく絞り込まれた腰、そしてその下に続く骨盤の大きさが、不思議な均衡を保っている。範経はただ眺めているだけで、内側にじわりと熱が生じるのを覚えた。 リリは何も言わず、作り笑顔をその顔に張り付けたまま、範経をベットへと導いた。仰向けに横たえさせると、その上にまたがった。自然と見下ろす形になる彼女と、見上げるしかない範経。視線の交錯は、ほんの一瞬だった。彼女の股間に、不自然に赤く大きく膨らんでいる大陰唇が範経の目に映じた。その異様な艶は彼の内に潜む欲情を、じわりと、しかし容赦なく掻き立てた。 不気味なほど隆起した大陰唇の間の割れ目がぱっくりと開き、柔らかな襞がはみ出し、内側よりピンク色の粘膜が、ぬめりを帯びて露わ
範経は兎女の娼婦リリーに導かれるまま「ビストロ・モンストレ」の戸口を離れ、表通りへと歩み出た。外は相も変わらず色とりどりの街灯が明滅し、その光はむしろ不快なほどに眼を刺した。 リリの背丈は、姉の瞳とほぼ同じほどであった。背の低い範経が並べば、その視線はおのずと彼女の首もとに落ちる。そこから漂う香りは乾ききった花の残り香のように、かすかに胸の奥を騒がせた。 だが、がっしりとした体つきの瞳に比べれば、リリの骨格はひどく華奢であった。範経はそっとその腰へ手を回す。胸と尻にはほどよく肉がついているのに、くびれた胴は驚くほど細い。思わず力を入れるのをためらうほどであった。 リリは冷ややかな表情を崩さぬまま、ひと言も発せず歩き続けた。やがて表通りから二筋ほど奥へ入ると、ひっそりとした細い路地に出た。安っぽい酒場の前のテラスには、三人のならず者めいた男たちが、だらしなくたむろしていた。 その中から、頭に牛の角を生やした大柄な男がリリの方へ歩み寄った。「リリ、また客引きか」「そうよ」「子供じゃねえか」「腰抜けのあんたと違って、れっきとした冒険者様よ」「なんだと!」 その言葉を聞くや、範経は思わずリリの肩を押しのけ、男との間へと身を滑り込ませた。「やる気か」 男の声が低く響いた。 範経が身構えるや否や、角を戴いた男は腰の短剣へ手をかけ、ほとんど反射のようにそれを抜き放った。 だが、刃が光ったのとほとんど同時に、範経の足が男の手首をはじいた。短剣は乾いた音を立てて地面に転がった。範経は一歩踏み込み、相手の動きを封じるように距離を詰めた。 その成り行きを眺めていた残りの二人が気怠げに歩み寄って来る。一人は巻いた羊の角を頂き、顔には古傷の走る男。もう一人は血の気を欠いた細面に、鋭い角を突き出した背の高い痩身の男だった。いずれも腰にはサーベルを帯びていた。「リリ、ここで揉め事を起こす気か」 羊角の男が低く言う。「このでくの坊が、先に刃物を抜いたのよ」 リリは淡々と返す。「それは見ていたさ。だが、そのお坊ちゃんはお前の客だろう」と男。「正当防衛よ」 リリの声は夜気よりも冷たかった。「こいつが脅しで小刀を抜くのなんて、いつものことだ。それに人を斬る度胸なんてありゃしない。お前も知ってるはずだ」 羊角の男が、ため息まじりに言った。「バカ犬には、ち
範経とローズは声のした方へ顔を向けた。そこには、ひょろっと背の高い女が一人、いつの間にか立っていた。 胸元の大きく開いたブラウスは今にも張り裂けんばかりの豊かな胸を押し上げ、短いスカートの裾は、かろうじて大きな尻を隠していた。愁いを帯びたその顔は、若くないはずでありながら、なおどこか幼いあどけなさを残していた。つぶらな瞳が、妙に印象的だった。その頭上には不自然なほど大きな兎の耳が、まるで哀しみを嘲笑うかのように載っていた。「少し、お話をさせていただけないでしょうか」 女は控えめながら、拒否を許さぬ響きを帯びた声で言った。「何の用だ?」 ローズは、面倒くさげに答えた。「わたくし、リリと申します。昼間、蛇の目池で、エロリック様に助けていただいた子供――ぺぺとネネの母でございます。本日は、そのお礼を申し上げたく参りました」「なんだ、そんなことか」 ローズは肩の力を抜いた。「本当に、ありがとうございました」 リリーは深く頭を下げた。その仕草は、どこか芝居じみているようだが、しかし真摯でもあった。「別に気にしなくてもいい」 範経は、やや戸惑いながら答えた。「いいえ、そういうわけには参りません」 そう言うと、リリは空いている椅子にためらいなく腰を下ろし、手にしていたハンドバッグを静かにテーブルへ置いた。その一連の動作は、まるで日常の所作のように慣れきったものだった。 ローズはそれを見て、得心したように小さく頷いた。 範経の戸惑いを察したローズは身を寄せ、小声で囁いた。「この女は娼婦だ」「え?」「お代はいただきません」 リリーは、範経の驚きをよそに、穏やかだが断固とした言葉を継いだ。「そんなつもりで助けたわけではない」 範経は思わず言い返した。「承知しております。ですが、それでもお返しがしたいのです」「だが……」 言いかけて、範経は口をつぐんだ。リリの目に、かすかな翳りが差したのを見たからだ。「エロリック、嫌なのか?」 ローズが横から問う。「そうではないが……こういうのは初めてなんだ」「まあ、そうだろうな」 ローズは軽く鼻で笑った。「若いし、女には不自由していなかった顔だ。金で買うなんて経験はなさそうだな」「わたくしでは、ご不満でしょうか」 リリーの声には、わずかな震えがあった。「そういうことではない」「断る
来店の折、席へ案内した給仕が、やがてまた静かに顔を現した。「お食事は、お口に合いましたでしょうか」 その声には、どこか慎ましやかな、控えめな気遣いが滲んでいた。「悪くない」 範経が素っ気なく答えると、給仕はほっとしたように、ほのかに微笑んだ。頭の上の不釣り合いな大きな耳を、わずかに震わせながら。彼は手際よく、食後の皿を一枚ずつ重ねていった。「お飲み物をお持ちいたしましょうか」「ああ、バーボンをもう一杯。エロリックはどうする?」「コーヒーをもらえる?」「かしこまりました」 給仕は一礼し、なおもその場に留まって言葉を添えた。「デザートはいかがなさいますか」「アイスクリームはある?」と範経。「ええ、もちろんでございます」 ウエイターは静かに一礼し、立ち去った。 範経はローズと向かい合い、コーヒーを静かにすすった。この異世界へ来て以来、初めて心の奥底がほどけるような、穏やかな気分だった。 彼は普段ほとんど口にしないアイスクリームをスプーンですくい取り、ゆっくりと口へ運んだ。濃厚な甘みが舌の上で溶けゆくのを、はっきりと意識した。これまで味わったことのない不思議な満足感が胸の奥底に、静かに広がっていった。 店内は混み合っていた。酒をあおりながら陽気に騒ぐ冒険者らしい一団。家族連れで静かに食事を楽しむ者たち。店の外の通りからは楽器を奏で歌う声が流れ込み、ざわめきは絶え間なく続いていた。 そんな喧騒の只中にあって範経はむしろ、ゆったりとした気分に深く浸っていた。 先ほどまでこの世界特有の原色の強いきらめき――目に刺さるように感じられたそれが、今ではかえって心地よい刺激へと変わりつつあった。まるで毒々しい色彩が、いつしか優しい光に溶けていくかのように。 ローズはくつろいだ様子で、バーボンを静かにあおっていた。 範経はさらにコーヒーを口へと運びながら、ふとこれまでの自分の生活を思い出した。家では姉妹たちに過保護なほど大切に扱われ、学校では由紀と祥子を除けば、誰にもまともに相手にされない。どこか変人扱いされ、息苦しい日々のことを。 ――いっそ、このままこの世界にいても、いいのではないか。 そんな考えが、ふと頭をよぎる。ここでは誰に気を遣うこともない。ただ、自分のままでいられる気がする。 だが同時に、ここは自分の属する世界ではないという事実
現れたウエイトレスは、前菜を運んできたシャム猫のような女だった。彼女は足音一つ立てず料理を運び、卓上にそれらを静かに並べ始めた。「本当に、この子があなたの相棒なの?」 女はそう言いながら、範経の顔を、まるで店先の野菜を品定めするように、じろじろと眺めた。視線は外さぬまま、ローズに囁きつつ、肉やパンやバターの皿を、無遠慮に置いてゆく。「そうだ」 ローズは短く答えた。「そんなに腕が立つの?」「無論だ。昼間、大蛇を仕留めた」「……そう」 女はわずかに眉を動かした。「誘拐してきたと勘違いされないよう、気をつけなさいよ」 シャム猫の女は、静かに立ち去った。 ローズがナイフとフォークを手に取ると、範経もそれに倣った。 食事は、驚くほど美味であった。 範経はふと、この奇妙な異世界へ来る直前のことを思い出していた。クリスマスパーティーの光景。姉妹やガールフレンドたちに囲まれていた、あの賑やかな時間――それが、今では遥か遠い昔のように思われる。この異世界にいることに気づいてから、まだ一日も経っていない。 もう二度と現実へ戻れないのではないか。そんな考えが胸をよぎり、奥底がじわりと重くなった。不意に、ナイフとフォークを持つ手がかすかに震えた。 その様子に気づいたローズが、声をかけた。「どうした?」 範経は小さく首を振った。「いや、なんでもない。久しぶりの食事だから、少し嬉しくて」「そうか。それはよかった」 ローズは軽くうなずいた。「ああ……こんなに旨いステーキを食べるのは、初めてだよ」 言いながらも、その声にはどこか現実から浮いたような、淡い響きが残っていた。 だが、これは仮想世界のはずだった。それにもかかわらず、なぜこれほどまでに味わいが鮮明なのか――範経は、ふと不思議に思った。 焼けた肉の香り、歯ごたえ、舌触り、そして口中に広がる脂ののった肉汁の旨味。そのどれもが、本来ならば偽物にすぎないはずである。にもかかわらず、それらは疑いようもなく現実の感覚として、彼の内に立ち現れていた。 ……誰が、俺の感覚を操っているのか。 範経は心の中で呟いた。レイはこの異世界のシステムをハッキング中だと言っていた。だとしたら、範経の五感は制御システムが作り出し、彼に感じさせているはずである。 そう考えながらも、範経は肉を頬張り、続けてパンにかじ
クリスマスの午後、アルゴー社の大きな会議室で内輪のパーティーが準備された。主催はアルゴー社の経営陣で参加者は社員および協力企業の関係者、付き合いのある学者、大口の投資家などである。参加者は四十人ほどの予定である。 副社長の美登里に参加を頼まれていた範経の彼女である由紀と祥子、それから義理の妹の麗華はすでに会場にいた。 すでに立食パーティー用の料理が運び込まれ、参加者が集まり始めていた。だがまだ開会の挨拶と乾杯までには時間があった。主催者として早めに会場に来ていた会長の幸一と副会長の寛子の元夫婦が顔をあわせた。「なんだその、売春婦みたいな恰好は?」と幸一。「あなたには関係ないでしょ」
寛子は両肩を抱えて範経の頭を抱き寄せ、耳元でささやいた。「あなたが盗撮騒ぎで家出していた間に、あなたの個人端末用のコンピューターを調べさせてもらったわ」「美登里姉さんから聞いてる」と範経。「姉モノのポルノ動画のことで散々冷やかされたよ」「あの話には続きがあるの」と寛子。「続き?」と範経。「データ通信の履歴をたどって、あなたのクラウドデータをハッキングしたの」と寛子。「別のサーバにもファイルを隠していたでしょ」「なぜそんなこと!」と範経。「だって、あなたが犯人でないことを確認しなければいけなかったのよ」と寛子。「信じてなかったの?」と範経。「一応、確認よ」と寛子。「別のパ
「お母さん、前から聞きたかったことがあるんだけど」 範経は中指をくねらせた。「な、何?」と寛子。「ぼくのこと、今でも嫌いでしょ」と範経。「何を言うのよ」と寛子。「嫌いならこんなことしないわ」 「離婚したとき、ぼくを引き取らなかったのは盗撮事件を疑ったせいじゃないよね」と範経。「え、どういうこと? あなたがやったって思い込んでいたわ。ごめんなさい」と寛子。「嘘だ。母さんは疑ってなかった。後で高校の先生から聞いたよ。母さんが高校にひどく抗議していたって」と範経。「職員会議にまで乗り込んできて大変だったって、国語の川田先生が教えてくれた」「あなたのことが好きだったのよ。あなたを信じ
「まだお薬の効果が十分出てないみたいね。もう少しお話ししましょう」 寛子は椅子に座っている範経の隣に立って目を合わせた。「範経、実はあなたに謝らないといけないことがあるのよ」「何?」と範経。「あなたが中学二年生の時の家出のことよ」と寛子。「あれは母さんのせいじゃないよ」と範経。「そんなことじゃないわ」と寛子。「この際、正直に話しておこうと思うのよ。あなたに嫌われるだろうけど」「どういうこと?」と範経。「あの頃のあなたは、神経質で内気でわがままで、そのくせかまってもらえないとすぐ拗ねてしまう。そんなあなたが疎ましかったわ。事業で成功して、かわいいフォーシスターズは好評で、私の個